健全な劣等感を利用して成長していくということ

健全な劣等感を利用して成長していくということ

他者との比較はいけないこと?

心理学者のアドラーはこう言います。

「誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。」

また、このようなことも言います。

「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較の中から生まれてくるものです。」

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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その他に仏教などでもやはり、他者と自分を比較してしまうことは良くないことだと言われることがあります。

しかし、むき出しの資本主義を生きる僕たちにとって、比較・競争しないことは不可避だろうなと思うのですよね。

フリーランスとして生きていこうと決め、ストック型のビジネスとしてブログ・メディアを作ろうと決めましたが、「今日は更新サボってしまおうかな」という怠惰な気持ちになることがあります。

そんなときに脳裏に浮かぶのは、プロブロガーのイケハヤさんだったり、年齢が近そうなブロガーの人たちだったり、ディズニーと勝負をしている西野亮廣氏だったりするわけです。
自分よりも大きく稼いでいる彼らでさえ、ストイックに日々手を動かしているのに、なぜ自分が手を動かさないことがあろうか、と律してくれるのです。

この感覚は健全な劣等感を生み出しているような気がします。

健全な劣等感はどのように生まれるか

なぜ比較しているのに健全に思うのだろうと考えたのですが、もっとマクロなレベルで「私とあなたは違う」ということをわかっているからかもしれないなと思いました。

つまり、毎日を精力的に過ごそうが、怠惰に過ごそうが、自分の人生そのものが否定されることではないと理解していますし、自分が「自分に甘い」ということもわかっているからだと思います。
そのようなある種の悟りがあるから、他者との比較にさほど苦しくならないのかなと思いました。

しかし、だからとってずっと怠惰であり続ければ現実的な話として、稼ぎがなくなり、むき出しの資本主義のうえでは不幸となってしまいますから、努力する他ありません。
そういうときには、アドラーの言うように、「理想の自分」との比較を行う必要があると思います。
そして、この理想の自分の要素を、自分の在りたい姿に近い人から引っ張ってくれば、それは健全な比較であるだろうと思います。

ライバルがいることによって成長が促されるということは科学的に証明されてすらいますし(たしか)、他者の力を借りながら成長していけたらと思います。

身近な人が優秀であることの効果

なぜこんなことを思ったかと言うと、昨日の記事( 『プログラミングスクールで挫折した後に気づいた、初級者がプログラミングを上達させるうえで必要な3つのこと 』)に中学生の頃の部活動のことをちらっとを書いたのですが、そのときの同級生だった部長のことをふと思い出しました。
そこで彼の名前をググったところ、彼は東大の大学院でコンピュータ科学を専攻して、今は小さな会社で技術最高責任者を務めているらしく、健全に彼と今の自分と比較し、まだまだ自分は全然ダメだなという気持ちになったのでした。

またそれと同時に、優秀な人達が周りにいる環境に身をおくことが成長を促すと言われる原因としては、機会が十分に与えられる他にも、上に書いたような力が働いて引き上げてくれるということもひとつあるのではないかなと思いました。
そしてそれは残酷にも、優秀な人達のコミュニティはどんどん成長していって、そうでないコミュニティは逆の力が働くのではないかと想像しましたが、それはまた別のお話ですね。

これを読んだみなさんも、健全な劣等感を利用して成長していきましょう!